豊川稲荷

土浦市文京町1-27 (令和6年3月3日)

東経140度11分57.24秒、北緯36度04分57.30秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
亀城公園の北西80m程の神龍寺の一角に鎮座。国道新設で現在の位置に移された稲荷です。最近拝殿を建て替えたのか、赤色から稲荷風ではない建物に変化してる。

由緒
外西町稲荷は外西町(現在一中かど国道十字路)小広場に郁文館の門と併立して在った豊川稲荷の分身で古くから市民は勿論東京人からも信仰を集め新春二の午には年々太鼓の音につれ参拝者があとを絶たなかったと言はれる。当稲荷は国道新設の為神竜寺境内に移されましたが、先づ交通安全の護り神として特に霊験があり未だに当稲荷跡の十字路には交通事故が皆無です。・・・・・
外西町豊川稲荷奉賛趣意書 より一部抜粋。

神龍寺山門。一番左側が豊川稲荷です。

茨城県のお寺でよく見かける不許葷酒入山門。延享三年(1746)丙寅に建立です。龍ヶ崎市横町の大統寺でも目撃したました。

稲荷入口

神額

社殿前の狐。拡大写真はこちら。

(年代不明)

石碑

社殿。宝珠の下には神龍が。拝殿のデザインとしては稲荷に見えない。

向拝。神額は「宝満宮」。


たまき地蔵尊由来

たまき地蔵尊。(たまき)とは130余年前、神龍寺の住職で名僧と云われた、大寅和尚の「欠けることなく 余すことなく 只一輪」の教えを土浦小の校章にしたのに由来している。たまきとは輪を意味するらしく、校章は黄色い輪。

神龍寺本堂