日先(ひのさき)神社

土浦市右籾2202 (令和6年3月3日)

東経140度10分54.42秒、北緯36度02分25.17秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道25号線と県道203号線が交わる阿見住吉交差点から県道48号線を北に880m進んだら斜めに左折し、道なりに190m進むと道路左側が南側の入口です。

拝殿に奉納されたプロペラ、長い髪の毛、奉納画、本殿のイノシシや鹿の木鼻など、この日見学した神社では一番の傑作でした。軍都だった土浦市の影響を色濃く残した神社です。二組の狛犬が鎮座しているが、残念な点は前列右側の狛犬さんが伸びた枝で良く見えない。

御祭神 武甕槌命・経津主命・衝立船戸大神

由緒
天喜五年(1057)源頼義・義家父子の軍団奥州に向かう途中当地に宿営。夜霊夢ありてこの地で賊徒平定の大祈願祭を厳修した。
康平元年(1058)十一月其処へ社殿を創建。丸四天権現宮と尊称。 武甕槌命 経津主命 衝立船戸大神の三神を鎮斉した。丸四天権現宮は何時しか摩利支天さまと俗称された。
明治四年(1871)日光神社と改称後に日先神社と改める。明治五年(1872)右籾、摩利山新田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田、以上八ヶ村の村社となる。昭和二十七年(1952)十月六日宗教法人設立。
古来諸災病難消徐の神として、戦時中は武神として信仰されている。
境内由緒書き より。

南側の鳥居(平成四年建立)

神額

社号標

北側の鳥居。鳥居の前で座り込んでた老人に聞いたら、昔は北側の鳥居から参拝したもんだと言ってました。

北側の鳥居の前の御手洗池跡。

広場

参道

石灯篭

鳥と波の彫刻 荒川沖の方が奉納した石灯篭

御神木

手前の狛犬。夏になったらもっと見えなくなる狛犬さん。背後にもう一組隠れている。

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治11年(1878)11月建立)

手水舎と手水石

北側の石灯篭。北側から入るとこの石灯篭の間を通る。

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保15年(1844)甲辰4月吉日建立) 天保15年、摩利支天様の時代の狛犬さん。

拝殿

向拝

向拝上のプロぺラなど

奉納額

千羽鶴と毛髪。毛髪は戦死しない様にのおまじないでしょうか?

拝殿内部

奉納額。志那事変出征なので80年以上前の奉納額。

拝殿と本殿。御神木で本殿の彫刻を詳しく見学出来ないのが残念だ。

本殿右側

鹿の木鼻は初めて見たかな。関係性が分からない。

イノシシの左木鼻。昔は摩利支天さまと俗称されていたので、イノシシの木鼻らしい。それは摩利支天はイノシシに乗り駆け抜けるから。


御神木

食い込む御神木

本殿裏の日光神社。何故か大きな石で囲まれていた。

石碑

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