大宝八幡宮

下妻市大宝667(平成20年10月20日)

東経139度58分29.83秒、北緯36度12分5.41秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道294号線(常総バイパス)を北上して、横根西信号を左折、約1,200メートル進んだ大宝地区にあります。長い参道を進むと、たくさんの狛犬が並んでいました。大正5年生まれの大きな狛犬が最古参のようです。寛永20年と元禄2年の石燈籠には、狛犬が彫ってありました。天正年間に再建された本殿は、国指定文化財です。神社境内は、大宝城跡(国指定文化財)でもあります。

(研究学園都市と民族文化ライン)
下妻大宝八幡
 大宝八幡神社の祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)・足仲彦命(たらしなかひこのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)であって、国土鎮護の神として古くから崇拝されてきた。
 社伝によれば、大宝元年(701)に藤原時忠卿が宇佐八幡宮を勧請したものといわれ、その後、源頼義が奥州征伐のときに祭祀田を寄進し、また源頼朝が奥州征伐に際して鎌倉八幡宮を勧請したのが摂社若宮八幡社と伝えられている。
 徳川時代に将軍から百十五石の朱印地を寄進されている。さらに光格天皇御宸筆の額と御紋付幕が下賜され、明治時代には北白川宮から幣帛料を賜り県社にも列した。
 本殿は桃山時代に下妻城主多賀谷尊経が再建したもので、現在、国の重要文化財に指定されている。
下妻市
境内案内書より。その他境内由緒書、全文はこちら。

神社名は創建の年号「大宝」から採られたようです。年号は「たいほう」。しかしこの神社では茨城訛りで「だいほう」と読むようです。大宝八幡宮公式サイトはこちら。

この神社も明治迄は、別当賢了院を中心とし、七つの下寺を合わせ大寶八ヶ寺。総称して大寶寺といわれていた、天台宗の寺院だったようです。現在地図を見ても近くにはそれらしき寺は見当たらないので廃仏毀釈で廃寺になったと思われます。

参道入り口と参道

境内入り口

神門。大寶寺時代には仁王像が祀られていたと思われます。

参道に並ぶ狛犬達

渋い親父顔の堂々とした狛犬です。拡大写真はこちら。

(大正5年(1916)建立)

拝殿

八幡宮の額と拝殿内部

国指定文化財の本殿。嘗ては桧皮葺だったのでしょうか。

若宮八幡宮

青龍権現社 黒鳥神社

天満宮とその他の末社

寛永20年と元禄2年の石燈籠

神楽殿

御神木のおがたま

和名は神道思想の「招霊」(おぎたま)から転化したもの。和歌、俳句の季語にも用いられる。黄心樹の字は本来誤用である。
日本神話においては天照大神の天岩戸隠れにおいて天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとされ、古くには榊などとともに神前に供える木として用いられた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。