八坂神社

行方市麻生420 (平成24年10月20日)

東経140度28分42.47秒、北緯35度59分00.63秒に鎮座。

この神社は、市役所麻生庁舎の西1.5km程の辺り、天王崎と呼ばれる霞ヶ浦に若干突き出た所に鎮座しております。

新庄氏に慶長九年(1604)常陸国、下野国八郡のうちに三万余石の領地が与えられ、麻生藩の成立した後、藩内二十四か村の総鎮守としてこの地に祀られたものである。
旧藩政当時は、毎年旧暦六月十四日、十五日の両日、藩主を中心として祭典を盛大に執り行っている。廃藩後は、古宿、新田両集落が中心となり麻生祇園馬出し祭として、祭典を行っている。近年は七月最終の土・日曜日に期日を変えたが、老年、壮年、青年、少年、一体となり奉仕する大型祭典様式は保たれている。八岐の大蛇に見立てた飾り馬と御祭神須佐之男命を奉じた神輿がもみあう神事は祭りの圧巻である。

麻生と天王崎
現在、麻草の一本もないこの麻生の町も「常陸風土記」によれば「麻生(あさう)の里」とよばれ大きな麻が群生していた。その昔、「麻生の里」の南に「香澄の里」があり景行天皇が、伊波の鳥見の丘(千葉県印旛沼周辺)からはるか東の方をながめられたとき海(霞ヶ浦)には青波がただよい、陸には霞がたなびいている・・・」といわれたので霞の郷(香澄の里)と呼んだといわれている。
ここ天王崎は、「香澄の里」の西から霞ヶ浦の中に突き出た大きな洲で、この洲の上に立って北を眺めると遠くに「新治の国」の筑波の山が見えたので「新治の洲」と名づけられたといわれる。
境内由緒書き より

神社全景

参道

境内

均整のとれた浪速っぽい狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿


水神宮

石祠群

霞ヶ浦の眺め