蛟蝄(こうもう)神社

北相馬郡利根町立木882 (令和元年12月1日)

東経140度11分05.63秒、北緯35度52分03.73秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道4号線と県道209号線が交差する北方交差点から東に209号線を約2.6km進み右折。そこから約230mで階段下に到着します。

蛟蝄神社は延喜式内社の神社です。蛟蝄神社には東の「奥の宮」と西の「門の宮」の二つがあり、これは東の奥の宮で曲線で構成された狛犬さんが鎮座しています。台風の被害に遭ったそうですが、この日は綺麗に片付けられていました。門の宮には狛犬さんは鎮座していません。

御祭神 罔象女大神(生命の源である水をつかさどる女神様)

由緒
蛟蝄神社の始まりは、約2300年前(紀元前288年)に現在の門の宮(かどのみや)の場所に水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりといわれています。698年に土の神様の埴山姫大神を合祀し、水害や民家が近いという理由で詳しい年代は分かっておりませんが社殿を東の高台(現在の奥の宮)に神社を建てました。門の宮を取り壊すはずでしたが氏子崇敬者の声が上がり、御祭神の御魂を分祀し門の宮にお祀り致しました。明治42年(1909年)に立木地区にあった「八坂神社」「天神社」「稲荷神社」「八幡神社」を合祀して現在もなお一層の御神徳をもって下総國相馬の郷を見守っておられます。
(以上 蛟蝄神社ホームページより抜粋)

車の入り口。車でのすれ違い不可能な狭い道。

神社入口 社号標

文政十丁亥年九月(1827)鳥居

神額

参集殿

記念碑と壊れた鳥居

御神木
中臣一万度行事
祝詞を1万回唱えた
記念の石碑

手水舎と文化十年癸酉(1813)製手水石

寿蔵碑

参道

新橋や京橋の方が奉納した文政7年甲申9月(1824)製の石灯篭

狛犬と拝殿

拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(嘉永5年(1852)9月建立 ペリーが浦賀に来る1年前)

拝殿。2016年に建て替えた社殿。新築する前はもう少し前に建ってたそうです。

向拝

左右の木鼻

本殿


直江真佐雄之碑 手水石

絵馬とおみくじ

御神木