金刀比神社

鉾田市鉾田 (令和4年6月18日)

東経140度31分06.02秒、北緯36度08分57.07秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
大洗鹿島線の新鉾田駅から西に直線距離で500m程の位置に鎮座。東側に鉾田第一高校あり。住所は不明だが、左隣の三光院が茨城県鉾田市鉾田972なので、これに近いと思う。

御祭神 大物主命

由緒
今から凡そ500年位前、鉾田周辺では度々領主戦が続き、すでに徳宿城は水戸の江戸通雅の奇襲攻撃により烟田氏の応援も間に合わず落城。永禄12年(409年前)には烟田城主烟田忠幹がその宗家に背いた為、鹿島治時に攻められて降伏。鹿島郡内は大いに乱れた。度重なる戦乱の他に春秋に襲い来る巴川・七瀬川(現・鉾田川)の大洪水と大旱魃等に苦しんでいた鉾田村の農民が四国讃岐の琴平町にある金比羅宮より迎えて祀ったのが、鉾田の「こんぴらさま」の始まりである。鉾田村では光格天皇(明治天皇の御曾祖父)11代将軍家斉時代の文化9年8月(1812)四国の本宮より再度勧請し同年10月社殿竣工、法宿山根本寺三光院が別当となった。後に明治元年の神仏分離令により分離独立し、現在に至る。
(以上 案内板金刀比羅神社と鉾田 より一部抜粋)

昭和九年製の一の鳥居

寄付者が300名は居そうな一の鳥居と唐獅子の寄付連名碑。

狛犬と昭和3年製二の鳥居。寄付連名碑から推測すると、狛犬も一の鳥居と同時期(昭和9年)でしょうか?

参道左右の狛犬。行方市、鉾田市でよく見掛ける口の大きな狛犬さんです。拡大写真はこちら。

(年代不明)

手水石と御大典記念碑(二の鳥居記念碑)

金刀比羅神社

大正十一年製の金刀比羅神社 代々講社紀念碑
御神木 本殿には右の石段からも行けます。

拝殿

石灯篭 天水桶

向拝

波に鏡 神額

本殿


左奥の稲荷