馬場八幡宮

常陸太田市馬場町574 (令和7年11月16日)

東経140度31分30.46秒、北緯36度33分02.01秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
馬場町の北に位置する神社で、県道29号線がL字型に曲がる馬場町丁字路から29号線を北に410m進むと正面が神社入口です。常陸太田市繁華街の北に位置する神社なので、神額の上には北を守る霊獣で般若顔の玄武が鎮座しています。

御祭神 

由緒
天喜4(1056)年、源頼義が陸奥の安倍頼時鎮撫に向かう途中、源氏の氏神で、伊勢神宮と並び国家の宗廟と称されていた、石清水八幡宮の神霊を当地に分祀したことが馬場八幡宮の起源。以降、佐竹氏の守護神としても崇められ、初代の昌義は社殿を造営し、大田郷の総社とされました。さらに、3代目隆義の頃には、本社、礼拝堂、楼門、神宮寺、庁屋の5つの殿堂を築造。しかし、天正2(1574)年に雷火のために運悪く焼失してしまいます。現在の社殿は、19代義重が同8(1580)年に造営したもので、本殿の柱上の木鼻の浮彫文様の各面すべてが異なるなど、躍動感にあふれた造り、室町時代の建造様式を今に伝えています。その後、徳川光圀公の社寺改革により、馬場町、増井町、上大門町、下大門町、新宿町の一部の総社となりました。往時には5年に1度、日立市の久慈浜まで向かう浜下り神事が執り行われていました。
(常陸太田市観光物産協会ホームページより抜粋)

佐竹の氏神。 康平3年、石清水八幡宮の分霊を奉祀。永保3年3月源義家が社頭に松を植樹。寛治6年義家・義光兄弟は戦勝を奉賽し馬場先にて流鏑馬を奉納した。天仁2年太田城主藤原通延に命じ社殿を修築。佐竹初代佐竹昌義祖宗は本社を太田郷の総社、鯨岡八幡宮の社号を奉る。応保元年3月新たに社殿を造営。天正2年3月雷火のため焼失。同8年11月佐竹19代義重が本社を造営(現本殿)。佐竹20代義宣が天正20年本社の御分霊を水戸八幡宮に奉遷する。慶長7年秋田国替移封の際、御分霊を千秋公園内の八幡秋田神社に遷祀した。佐竹昌義以来義宣に至るまで代々元服の儀、安産祈願、元旦祭には、幣帛を奉納することが家例であった。昭和45年10月14日由緒によって神社を宮に改める。 (茨城県 久慈地方神社ホームページより抜粋)

本殿案内等はこちら。

神社入口。

元帥陸軍大将子爵川村景明書の忠魂碑・社号標など左側手前には印籠最中の小林製菓あり。

参道

手水舎・手水石

狛犬と神門。酒樽は「松盛」で常陸太田市の岡部合名会社の商品ですので、狛犬さんと同じ会社ですね。

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和13年(1938)戊寅5月吉日建立)
昭和十三年に酒造会社が奉納した狛犬さん。銘酒黄門の醸造元の小泉源は現在の岡部合名会社らしい。

神門裏側

境内

ここが元祖馬場八幡宮の場所。天正四年(1056)源頼義により源氏の氏神石清水八幡宮の御分霊をここに安置した。手前の薄い岩の上らしい。

御神馬。馬場町なので馬像なのかな?

傘と拝殿

初老記念の石灯篭(昭和七年二月奉納)

拝殿。正面から見るとシンプルな形状の拝殿屋根。緑色がこの辺りの標準色なのかな?

向拝・神額と玄武。の玄武を見たかったのでやって来た。顔は龍でも蛇でもなく般若顔だった。横からアップで撮影すれば良かったと反省。

左右の木鼻。狛犬さんは微妙に内側を向いている。

奉納画

拝殿内部

本殿

拝殿屋根。横から見たら凝った造りの屋根だった。玄武の首の長さも横から見ると確認出来る。


熊野神社

白山神社と雷神社

秋葉神社など

石祠

御神木

茅の輪