堀出(ほりで)神社

ひたちなか市阿字ヶ浦町178 (令和5年6月25日)

東経140度37分02.09秒、北緯36度22分47.03秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
阿字ヶ浦駅から東に100m程で神社裏側(西側)です。社名は、「掘って出た」ことにより堀出(ほりで)神社と命名されました。水戸光圀様もお参りした御神徳高き八幡さま。最近干し芋で有名になった「ほしいも神社」を併設してる神社です。

御祭神 誉田別尊

由緒
寛文11年(1671)に水戸藩主徳川光圀の命によって創建。寛文11年(1671年)8月13日、岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記によると、磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日、岡見弥次右衛門尉吉為、前浜村庄屋弥右エ門、組頭太郎右エ門等検分途中、路中吹きはげの所に備前焼で忌垣二重に囲い内くぼみになっておる処を見つけ、案内にそこを掘らせたところ、石廊あり、中から刀、折れた脇差、槍、鉾3枚、矢の根、具足、州枚形からがね2枚、天目などが発見された。この品々はさっそく水戸城中へ送られ、詮議の結果「磯前明神の本体であろう」と結論されたので、前浜村鎮守を望む地元の意向をくんで、岡見吉為が小社を建てた。
その後同11年正月、寺社奉行北河原甚五右エ門、山県源七、横田庄三郎等のはからいで水戸藩の許可を得、同年8月13日に社殿造営竣功し、遷宮式が厳修されたという。神体の御神鏡は藩主光圀公の奉納。古墳の発掘されたところは現在不明であるが、町内小池親氏神に堀出宮神魂石という石が祭られている。明治6年4月1日村社に列格、大正元年10月28日(第148号)供進指定、昭和27年8月宗教法人設立。
(以上 堀出神社ホームページより抜粋)

南の入口と社号標。この辺りでよく見られるステンレス製らしき灯篭ですが、震災で石灯篭が壊れたからかな?

昭和3年5月の御大典記念碑

参道

狛犬

御神木

西の入口。ここもステンレス製の灯篭。鳥居もステンレスかも?ほしいも神社の幟もありますよ。

参道

大正二年に伊勢参宮を記念しての石垣奉納

手水舎と手水石

由緒書

狛犬と拝殿。現在の社殿は明治初年に造営されたものを、平成8年に修復。拝殿・社務所も新築した。

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正13年(1924)3月建立) 前橋の文字も読み取れる。左右とも同じ銘板が嵌め込まれていた。

向拝と神額

向拝の龍

左右の木鼻

本殿


伏見、水神稲荷神社 末社

右のタジン鍋の様な物も祠なのか? この辺りで偶に見掛けるタイプだ。焼き物かも?

末社

ここにもタジン鍋の様な祠が三基鎮座している。

アジサイ

環境整備記念碑

鎮の石

社務所。小さい神社だが繁盛してました。

御神木