羽黒神社

筑西市甲37(平成20年6月17日)

東経139度58分53.68秒、北緯36度18分23.69秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道50号線を笠間方面に向かい、右に少し入った甲地区にあります。しもだて美術館のすぐ近くです。最初に年代不明、次に大正14年の狛犬が迎えてくれました。建造物や彫刻が文化財に指定されています。たまたま居合わせた宮司さんから、建物の歴史、構造、特徴などを丁寧に説明してもらいました。本殿の紅梁は、よく目にする海老紅梁と形状が違っていて、なるほどと思いました。ガイド付きで見られたので、とても嬉しかったです。年代が鎌倉時代後半(推定)の木造狛犬も居ります。

愛宕神社の本殿や羽黒神社の境内社などを撮るはずだったのですが、うっかり忘れてしまいました。駄目な私です。

いや〜私も良くやります。宮司さんや氏子総代さん等にお話を伺い、色々貴重なお話有難う御座います・・・・と言って神社を後にし、何だか得をしたような気分で帰宅します。しかし、いざ写真を整理して見ると何にも撮っていなかった等と言う事はざらです。

下館初代城主水谷氏尊崇の神社
下羽黒神社
筑西市大町甲三七番地
七羽黒神社の中心の神社。文明十年(1478)水谷左近将監勝氏(初代)が結城家より独立し、下館に築城。三年後の文明十三年(1481)に尊崇する出羽国(山形県)羽黒大神を勧請した。勝氏は、古式により下館城の鬼門の稲野辺村、風門の下岡崎村、病門の外塚村、天門の岡芹村に五つの羽黒神社を創建した。その後、天文十四年(1545)水谷政村(六代)が久下田に築城、鬼門にあたる大根田村と病門にあたる口戸村に羽黒神社を創建した。世に七羽黒と呼ばれている。
羽黒神社は境内六千余坪、三十七石を寄進し、水谷家の武運長久、領民の安泰を祈願している。
水谷氏移封後も、松平、増山、黒田、石川等歴代藩主の尊崇篤く、享保十三年(1728)黒田直邦が本殿の大改修を行った。
昭和五年六月郷社に列せらる「下館領内神社寺院附縁起旧跡」には、下羽黒山大権現、別当天台宗、正観院清瀧寺御朱印二十石、水谷伊勢守勝隆、元和四年戊午年建立。水谷家之鎮守、祭礼毎年十月十四日より十七日まで。
尚、平成十四年本殿が茨城県文化財(建造物)に指定。
寄贈 下館商工会議所
境内由緒書より。

神社入り口

入り口左右の江戸流れ。拡大写真はこちら。

拝殿前の狛犬。これも江戸流れ。拡大写真はこちら。

(大正14年(1925)建立)

拝殿

本殿

愛宕神社拝殿。
下羽黒神社の西側にある。祭神は伊弉冉尊、火産霊神で往時は西郷谷(現在の羽黒神社付近)の鎮守として世人の尊崇が篤かった。

推定、鎌倉時代後半の神殿狛犬。