福山八幡宮西御宮

 西御宮は野上(のがみ)八幡宮と呼ばれ別法人として祀られていましたが、1969年に延広八幡宮と法人格を合併し「福山八幡宮」となりました。

西御宮(野上八幡宮)の由緒
 野上八幡宮は天文年中(1532〜55)に備後地方の有力豪族である杉原盛重により常興寺山(現在の福山城)に造営されたとされます。福山城築城に際して城下の南西である野上(現在の野上町)に移され「野上」の名称の由来となったといわれています。なお、遷座される以前の名称は分かっていないが、常興寺山に祀られる以前は野上町にあったとの伝承もあり、元々野上の名称であったともいわれますが、若宮八幡宮の別名もあることから、これが旧称であった可能性も考えられます。何れにしろ、確たる由来は不明なようです。
 以後、水野家の庇護を受け藩士たちの氏神として崇められていましたが、4代藩主・水野勝種公により天和3年(1683)に城下南東の延広八幡宮と共に吉津川北岸に移転され「西の宮」と一般に呼ばれるようになりました。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

西御宮入口 西御宮社号標
西御宮参道の様子 西御宮参道途中の両部鳥居
西御宮参道石段脇に居る天保7年(1836)生まれの狛犬
吽には角があり、ふさふさとした縦ロールの鬣をしています。小顔で身体に瘤があり、姿勢正しく斜め前方を睨み、尾は先が分かれて少し下がっています。前足には二本のアンクレットのような細い紐状の物が彫られています。
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(天保7年(1836)建立)
西御宮随神門
西御宮随神門内に居る木造神門狛犬
筋肉質な上半身を持ち、玉顔を填め込んだ瞳は爛々と輝き、精悍な顔つきをしています。鬣は太いバナナの房が二段にぶら下がったような感じで肩まで掛かり、吽の尾は無くなってしまったようです。
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西御宮拝殿
西御宮本殿

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