子之神社

館林市赤生田町2215(平成18年8月18日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道354号線を太田方面に向かい、赤生田信号を左折したところにあります。明治24年の狛犬が居りますが、かなり傷んでいました。寛延2年の「手水石」があります。祈願された草鞋の数には、圧倒されました。誰しも、強い足腰は望みますからねー。

 案内によると、通称「子ノ権現様」と呼ばれ、御祭神は大乙貴命(大国主命=大穴牟遅命)です。創建は不詳で、江戸時代までは「子ノ権現」と呼ばれ、明治初年の神仏分離後に「子之神社」と改称しました。この神は大変な健脚の持ち主であり、非常に旅好きの神様だったそうで、鉄の草鞋をはいて旅をしたとも言い伝えられており、それにあやかり鉄の草鞋や手作りの草鞋を奉納し、旅の安全や足腰が何時までも丈夫なように折願するのだそうです。子ノ神社(ねのじんじゃ)は、関東から東海地方にかけて集中的に分布しており、旅の安全や足腰が何時までも丈夫なように折願するだけでなく、五穀豊穣・方災除け・子の方角(北)の鬼門除け・子どもの夜泣きなどにも霊験があるとされています。

神社入口
鳥居の扁額「子大神」
境内の様子 拝殿
拝殿正面。
金属製の草鞋の奉納額や
願掛け草鞋が沢山下がっています。
拝殿脇の願掛け草鞋と
奥に本殿
挙鼻はネズミと米俵と草鞋。如何にも子之神社に相応しい図柄です。
明治24年生まれと云うには余りにも傷みが酷いようです。
後方は綺麗に残っているので、何かのおりに前方に落ちたのでしょうか?
長めでストレートの鬣や長い尾の流れが素直で綺麗です。
欠けた前脚は何かに手を置いているようですが、どんなに想像を巡らしても
元の形を窺い知ることは出来ないほどです。優雅な狛犬だけに残念ですね。
(石工・田部井 新八郎  明治24年12月吉日建立)
境内社と庚申塔、青面金剛。 板碑、仏像群
寛延2年(1749)建立の「手水石」 圧倒される程沢山の祈願草鞋の数。
その内私達もお世話になるかも…。