諏訪神社

高崎市新町557 (令和元年5月1日)

東経139度06分55.85秒、北緯36度16分13.73秒に鎮座。

この神社は、JR高崎線・新町駅の北西1.3km程の辺り、に鎮座しております。

御祭神 建御名方命・八坂刀売命

由緒
1. 諏訪大明神が緑埜郡笛木村の鎮守として今の元宮の地を卜して始めて奉祀されたのは天正(1573〜1591)の頃か。
1. 慶安4年(1651)室賀下総守により検地あり、中山道筋に街並の区画が行われ宿場町「新宿」が新らたに造成された。
1. 承応3年(1654)諏訪大明神は村社に加列し、元禄15年(1702)に石鳥居成る。この頃には笛木新町が街道筋に繁栄してきた。
1. 宝永5年(1708)御神木が焼けた。この時光物が飛び来り落ちた処を神域と定め大明神を御遷座した。これが現在の社地である由。
1. 享保9年(1724)2月社殿の中へ宮殿を奉納し、京都へ赴き吉田家に願い正一位の神位を授与され、御位をお宮へ納める。
1. 享保(1716〜1735)の頃2畝歩の土地を買いとり鎮守の大門を造るという。同17年(1732)に石鳥居成る。
1. 延享4年(1747)正月新町宿の大火に遭い社殿、稲荷社、津島社等烏有に帰した。10年後、宝暦7年(1757)にこけら葺の荘厳なる社殿再建成り、同年6月24日御遷座する。同11年9月には銅葺の稲荷社成り全く旧態に復した。
1. 明治39年(1906)失火により社殿を全焼したが、同43年(1910)に先ず拝殿を再興し、昭和10年(1934)に至り御本殿が完成され、以来神徳はいよいよ明らかに氏子の尊崇は日をおって篤く現在に及ぶ。
境内由緒書き より

参道入口

境内入口

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿内部

本殿


稲荷神社