伊佐須美神社

太田市下浜田町(平成20年12月20日)

東経139度21分52.24秒、北緯36度16分34.21秒に鎮座。

 この神社は太田駅の南西約2.3km、下浜田集会場に隣接して鎮座しています。

 この社に案内は無く、勧請年月・縁起・沿革等は全て不明ですが、陸奥国から勧請の伝承があるそうです。
 勧請元は福島県大沼郡会津美里町の陸奥国・伊佐須美神社と思われますが、この社の御祭神は伊佐須美大明神(伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命)、式内社(名神大)・国幣中社・岩代国一宮・別表神社で、社伝では、紀元前88年(崇神天皇10年)、四道将軍大毘古命と建沼河別命の親子が蝦夷を平定するため北陸道と東海道に派遣された折、出会った土地を「会津」と名付け、天津嶽(御神楽岳)山頂に国土開拓の祖神として諾冉二神を祀ったのが起源とされています。その後、博士山、明神ヶ岳と移転を繰り返し、552年(欽明天皇13年)に現在地に遷座し、大毘古命、建沼河別命を合祀したとされています。以後、奥州二宮、名神大社として、また会津総鎮守として中世、近世を通じ領主、住民の崇敬を受け、現在に至り、1873年(明治6年)には国幣中社に列せられました。また、全国一の宮会では岩代国新一宮に認定しています。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
社号標
「村社 伊佐須美神社」
神明鳥居
社殿全景
向拝の無い拝殿
拝殿内の様子

本殿鞘堂 本殿
末社 猿田彦大神
日露戦役紀念碑 日支事変二週年記念
玉垣建立碑