橘神社

前橋市田口町461(平成19年5月27日)

 この神社は国道17号線・田口町信号から101号線に入り約300mで左折、すぐ右折すると左側、八幡山(標高169.8m)の中腹に鎮座しています。地図には「雷電神社・福守神社」と書かれていますが、社号標には「村社 橘神社」とありました。道に迷って行き方は未だによく分からないのですが、緩い坂の参道がかなり長く、社地が広く崇敬の篤い神社なのだろう…という記憶は鮮明に残っています。社殿も立派で、本殿裏山には地図に書かれていた雷電神社・福守神社のみならず、水分神社・諏訪神社・神明宮・厳島神社・大山祇神社等々沢山の境内社・末社が祀られていました。

 主祭神:誉田別尊
 例祭日:三社神社・4月28日
 境内社・末社:水分神社・雷電神社・福守神社・三峯神社・秋葉神社・菅原神社・神明宮・大山祇神社・愛宕神社・諏訪神社・琴平神社・石尊神社・厳島神社・水神社・お社宮司様
 由緒:創建は不明ですが、江戸時代まで八幡宮として祀られてきたものを、明治40年(1907)3月に本社の境内末社(菅原神社・神明宮・大山祇神社・愛宕神社)、字諏訪の無格社諏訪神社、同境内末社四社(琴平神社・菅原神社・石尊神社・大山祇神社)、字天神窪の無格社諏訪神社、同境内末社三社(神明宮・厳島神社・大山祇神社)、字橘の無格社橘水分神社、同境内末社水神社、字砂押の無格社雷電神社を本社八幡宮に合併し、橘神社と改称して現在に及んでいます。
 福守様と謂われ親しまれてきた福守神社は昔は橘山にあって水分神社といい、広瀬、桃木堰の守り神でした。伝承では、昔、広瀬、桃木川両堰の引き入れ口の手枠に御神体(偉大な男性の性器)が引っかかっていたのを人足が引き上げて小屋のかたわらに祀ったのが始まりとか、この御神体は洪水のときに上流から流されてきたもので、前橋藩主松平大和守の家臣で富士見村小暮の堰守役人・石田鋳右衛門為輝がつれづれに自分の刀で石の御神体を刻んで併せ祭って水の安全を祈ったともいわれています。この他に沢山の御神体が祭られており、福運の神、性病の神として、前橋の遊廓の女性たちが性病よけを祈願して賑わった時期もありました。

社号標「村社 橘神社」 神社入口
参道途中の二の鳥居 大きな拝殿
高い位置に建つ本殿
境内右脇からの三社神社入口 緩い坂の参道途中の鳥居
三社神社
(水分神社・雷電神社・福守神社)社殿
御神体
社殿内の様子
左から福守神社御神体、雷電神社、水分神社
近隣から集められ祀られた末社群 末社・秋葉神社
境内社・三峯神社