赤城神社

伊勢崎市境平塚1206(平成20年2月20日)

東経139度16分15.52秒、北緯36度15分12.99秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、伊勢崎深谷線を深谷方面に向かい、平塚信号を右折した境平塚地区にあります。狛犬は居ませんでした。文化財に指定されいる本殿の彫刻が見事です。弘化3年の鳥居、元禄13年の水盤がありました。

 主祭神:大穴牟遅命、豊城入彦命
 例祭日:元旦・1月1日、鎮火祭・1月2日?、春祭・4月7日、大祓・6月30日、夏祭・7月7日(お川入)、秋祭・11月3日、大祓・12月31日
 由緒:鎌倉時代末、新田氏家臣渋川氏は氏神に赤城大明神を奉祀しましたが、新田氏は南朝に味方し破れため新田一族とともに隠遁生活を余儀なくされました。南北朝合一(1392)後、渋川氏は帰郷の途中で大洞の赤城神社に祈念、赤城大明神を勧請しました。応永8年(1408)関東管領足利満兼より畑一町歩を寄進され、永禄12年(1569)社殿を造営、同13年(1570)本地虚空蔵菩薩をご神体として安置しました。寛文4年(1664)社殿を改築、嘉永六年(1853)の改築は下淵名の名工 弥勒寺音次郎・音八親子によるもので、彫刻が施された本殿には、「八方睨みの龍」が正面上部にあります。明治14年拝殿を造営、大正元年利根川の大改修により現在地に遷座しました。(「神社由緒記」より)

神社近景
社号標 神社入口
弘化3年(1846)建立の台輪鳥居
拝殿 拝殿に架かる社額
拝殿正面
珍しい板締めの注連縄が架かっています。
本殿覆い屋
下淵名の名工 弥勒寺音次郎・音八親子による嘉永六年(1853)改築の本殿
この精緻な彫刻は「お見事…!!」としか言いようのない出来映えですが、去年羽目板20枚が盗難に合っているとのこと。この写真でも龍の左側の壁板の色が不自然に変わっている部分が有ったり、脇障子が無いのが見えますが、これらがそうなのでしょうか? 絶対に許せない行為です。
「本殿説明板」拡大写真はこちらで
境内社 末社群
元禄13年(1700)奉納の水盤