甲波宿禰(かわすくね)神社

吾妻郡東吾妻町箱島1136(平成22年5月22日)

東経138度55分50.2秒、北緯36度32分36.49秒に鎮座。

 この神社は吾妻線小野上駅の南東約800mに鎮座しています。道路に面して根元が繋がった大ケヤキが聳え、鳥居を潜るとすぐ左手に社殿が建立されています。社殿の右手、鳥居からまっすぐ進んだ場所は広い草地になっていて、周囲には沢山の末社の石祠が祀られています。正面には対岸の山々が見え、境内の草原の緑と山々の新緑がとても綺麗で、明るく広々とした感じを与えています。又境内には町指定天然記念物の大ケヤキや名木十選に選ばれているコナラなどの御神木が聳え、境内北側の広々とした感じと対照的に、鬱蒼とした古の鎮守の杜が残っています。

 御祭神:速秋津比古命、速秋津比当ス
 祭礼日:3月15日、9月29日
 境内社:多数
 由緒:宝亀二年(771)延喜式上野十二社の一つ川島の甲波宿祢神社が創建されましたが、本社はそれより後、延暦4年(785)早良親王の謀反に組したためこの地に流されたという小野金善が川島鎮座の甲波宿祢神社から勧請したといわれます。
 中世になっては白井城主長尾氏の崇敬が厚く長尾景春が神宝として太刀一振を献上し社殿の修築をしたといわれます。祭典は往古は万福寺住職が奉仕していましたが明治になってから神官奉仕となりました。尚当社は古昔は正一位宿祢大明神といわれましたが明治元年神祇官布告によって甲波宿祢神社と改称されました。
 宝物は神鏡・太刀・神輿(天正3年作と伝えられる)があります。
 表鳥居に享保19年宿祢大明神とあり社殿は当時のものです。拝殿の石立端柱の獅子十二頭・屋根下の鶴・鴨居の龍の彫刻格天井に画かれた狩野派の絵画等いずれも貴重な文化財です。尚明治初年社務所の火災で残念ながら古記録すべて焼失しました。
 この社は「式内社 上野國群馬郡 甲波宿禰神社」の論社です。因みに甲波宿禰神社の論社は
 渋川市川島・甲波宿禰神社
 渋川市祖母島・武内神社
 東吾妻町箱島・甲波宿禰神社
の三社があります。この三社は吾妻川に沿ってほぼ等間隔に鎮座していますが、海神や川神に関する神社は、三社構成であることが多いということで、吾妻川(甲波=かわ)を神格化して祭祀した神社で、三社並立の神社ではなかっただろうかと推測されています。

社頭
神社入口
入り口に立つ台輪鳥居 社号標
「村社甲波宿禰神社」
境内の様子
拝殿前、昭和13年生まれの狛犬
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(昭和13年(1938)3月吉日建立)
拝殿
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本殿鞘堂
境内社 箱島花車庫
末社群 双体道祖神
末社 末社
御神木・町指定天然記念物 大ケヤキ
推定樹齢・500年、目通幹周・4.8m、樹高・29m
御神木・コナラ
入口に聳える御神木・大ケヤキ