稲裹(いなつつみ)神社

吾妻郡中之条町大字四万1594(平成18年4月18日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 この神社は、国道353号線を四万温泉方面に向かい、四万湖を過ぎて間もなく、右に入った貫湯平地区にあります。神社は、猿などの獣が入らないよう電気柵で囲まれています。ちょっと恐い感じがしましたが、折角来たのだからと、注意書きに従って参拝してきました。狛犬は、平成2年です。懸仏と境内木が、それぞれ町指定の文化財と天然記念物になっています。

 案内によると、この神社は四万温泉の奥 稲裹山に奥宮がある、三代実録に元慶4年(880)昇叙の記録をもつ国史現在社です。明治10年四万貫湯平の熊野神社に遷宮し稲裹神社と改称しました。御祭神は宇氣母智神(五穀豊穣の神)、伊邪那岐命、伊邪那美命、合祀は一言主神ほかです。
 ここ中之条町は四方を山々に囲まれ、古代から山を信仰の対象とした山岳信仰がありました。中でも、四万川の水源の山である稲包山に対する山岳信仰は厚く、山頂に奥宮、登山口の譲葉(ゆずりは)と、下流に里宮として原町の大宮巌鼓(いわつづみ)神社が祀られています。そして嘗ては熊野神社だったここでは、昭和48年二面の懸仏が発見され、鎌倉時代と室町時代の作と推定される懸仏は、一方の円盤に熊野三所権現の像、もう一面は蔵王権現の像をつけ、その頃の神仏習合思想の様子が伺われる貴重な物だそうです。懸仏とは、鏡に擬した銅板に浮彫り状あるいは丸彫りの尊像を装着し、吊り下げるための装置をそなえたものをいい、鏡像より派生したものと考えられています。山岳信仰と仏教の密教化により派生した修験道の信仰が、持ち運びの容易な懸仏を携えたことにより、全国各地に広がりやすくなったと考えられます。

私達も2社ほどこの看板のある神社を訪れています。恐いですよね〜。
社号標と参道 境内入口
平成生まれのしょうわ狛犬
(平成2年建立)
重厚な拝殿 拝殿の額。こんなに真っ赤な物は余り無いのでは?
拝殿内の様子 本殿覆い屋
境内社

『ヨッシーの神社豆辞典』
 国史現在社とは?
 延喜式神名帳が作成された当時(927年)すでに存在したはずであるのに、神名帳に記載されていない神社を式外社(しきげしゃ)といい、式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持っていた神社(熊野那智大社など)、また、神仏習合により仏を祀る寺であると認識されていた神社、僧侶が管理をしていた神社(石清水八幡宮など)、正式な社殿を有していなかった神社などが含まれます。式外社ですが国史にはその名前が見られる神社のことを、特に国史現在社(国史見在社とも)と呼んでいます。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)