美並ふるさと館

中は二つに分かれています。円空ふるさと館と生活資料館です。円空仏が多数展示されていて、円空ファン必見の場所です。出生の地はここ美並とも羽島市とも言われ諸説あるようです。

円空は、寛永9年(1632)美濃国郡上郡の南部、瓢ケ岳山麓で木地師の子として生れたと推定される。少年時代より山野を歩きまわり星宮神社の別当寺である粥川寺に出入し、雑役のかたわら経文や手習いを教えられ、その閤に伊吹山や白山など全国各地の霊山をめぐり験力をたかめ修行を行っていたが、庶民救済の誓願達成には得度(仏門に入ること)が必要と考え、寛文3年(1663)粥川寺において得度したものと考えられる。得度後、この地を中心に全国各地を遊行して数多くの仏像を残している。この地には円空仏の最も初期像といわれる木地人形を始め晩年までの仏像が155体発見されている。
ふるさと館パンフレットより。

狛犬

ふるさと館隣に再建された粥川寺、御本尊。ふるさと館・館長さんに案内され、撮影のお許しを得て撮らせて戴きました。「円空さんはここで得度したんですよ」と館長さんはおっしゃておりました。

江戸時代、無本寺(本寺を持たない独立した寺院)だった粥川寺。明治の廃仏毀釈もその独立独歩の精神で御祭神の差し替えを拒否したのでしょうか。他の土地であったなら、円空仏が155体も残っていることは無かったはずです。大般若経も一緒に焼かれ灰になっていたことでしょう。

帰り際、館長さんに今でも鰻を食べないのですか?と尋ねたところ、「私は70年鰻と言うものを食べた事は御座いません」とおっしゃておりました。