玉屋神社(般若窟)

田川郡添田町英彦山(平成22年4月3日)

東経130度54分55.42秒、北緯33度28分24.17秒に鎮座。

 この神社へ行くには、500号線に建つ「しゃくなげ荘」から、汐井川の支流沿いに南東方向に付けられた林道を1.8km程遡っていくと、左手に鳥居が建てられています。鳥居には「大山祇神社」の額が掛かっており、玉屋神社の御祭神は猿田彦大神なのでやや気になりましたが、他に神社もないので多分この社の鳥居だろうということで、鳥居脇の未舗装の林道をどんどん遡ること約2.6km、小さな駐車場らしき所に車を置き、徒歩で登山道まがいの参道を歩くことにしました。
 谷川に沿った参道を歩いていると、左に猿田彦大神像があり、祭所には小さな狛犬も置かれています。そこから参道の登りはややきつくなり谷川とも離れていきます。石段を上がると道標があり、鬼杉からの登山道と合流。その後、参道は左に曲がり、鎖場となり木の根を踏みつけながらの本格的な登りとなります。
 暫く登り、二本の大杉の間を通ると境内となり、眼前に「般若岩」と呼ばれる大きな岩が立ちはだかります。其の般若岩の下に幾つのも岩窟があり、その岩窟内からせり出したように「玉屋神社」「鬼神社」の社殿が建立されています。右の岩窟からは清水が湧き出しているようです。又、玉屋神社社殿前には「はじめ」狛犬が居て、もうここまで上がってきた苦労はなんのその、いっぺんに疲れも吹っ飛んでしまいました。
 社殿を背後にすると、前方には英彦山でしょうか?雄大な山並みが見えています。この絶景は苦労してここまで登ってきた人にしか見られない、自然からのプレゼントの様に思えました。

 御祭神:猿田彦大神
 祭礼日:旧暦6月3日・御池さらえ
 境内社:鬼神社
 由緒:英彦山49窟のひとつで、英彦山の古い記録「彦山流記」では彦山の始まりは、玉屋窟であるといわれています。彦山の開祖はこの窟で修行した、恒雄という人だったのです。恒雄は、この窟でながいあいだ一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うためにたいへん役立つ不思議な力を持つ珠)を授かりました。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたのです。珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。
(「添田町公式サイト」より)
 また、社殿左には「天孫の瓊々杵尊は高天原のこの窟で降生したとする、伝説の霊地である。」と書かれています。湧水は日本三大霊水のひとつです。

林道沿いにある参道入口に立つ鳥居
鳥居に掛かる額
「大山祇神社」
土神、水神
林道に並ぶ石塔群
参道途中に祀られる末社
谷川に沿った参道
参道は谷川を横切ります
参道左に祀られる猿田彦大神
猿田彦大神像
祭所
祭所を護る小さな玉乗り狛犬
参道はだんだん坂が厳しくなっていきます
石段を上がると鬼杉からの登山道と合流します
道標 鬼杉からの登山道と合流後、
参道は左に曲がります
参道には鎖も付けられ、木の根を踏んでの急登になりました
参道脇には何本も大杉が聳えています
境内入口

境内に聳える般若磐
社殿前にいる、はじめ狛犬
この地域ですから肥前狛犬なのかも知れませんが、やや雰囲気が異なっているように見えるので、私達は「はじめ」としました。縦置きで、阿吽の位置が反対です。といっても阿も歯茎が見える程度で、口を開けているわけではありません。口蓋が割れ、猿のような顔つきです。鬣は綺麗に彫られています。
狛犬の拡大写真はこちらで
社殿
社殿に架かる額
「英彦山般若窟」
入口右の社名の書かれた板
「鎮西彦山玉屋神社」
社殿内の様子
般若岩中央に建つ「英彦山鬼神社」社殿
社殿に架かる額「英彦山鬼神社」 鬼神社社殿内の様子
般若岩右の清水の湧き出ている洞窟
玉屋神社前の風景
前方の山は英彦山でしょうか?この雄大な景色は苦労してここまで登ってきた人にしか見られない、自然からのプレゼントの様に思えました。