高向神社

坂井市丸岡町高田1-7(平成24年6月2日)

東経136度17分09.64秒、北緯36度07分05.53秒に鎮座。

 この神社は北陸自動車道の東側300m程の160号線南に鎮座しています。といっても160号線に面しているのは神社裏側で、入口はその南の細い路地のような道路に面しています。
 境内入口に立つ鳥居の脇に「式内高向神社」と記された社号標が立ち、参道を進むと玉垣に囲まれて神殿が鎮座し、その右に石祠の末社が祀られ、「高向の宮跡」碑が置かれています。
 「延喜式神社の調査」によると、この社は「明治3年国神神社へ遷座 明治19年3月26日国神神社へ合祀 その後、また元の社地に戻った 昭和23年6月28日福井地震で社殿倒壊 昭和55年3月造営」とあり、由緒ある式内社といえども、永い歴史の間には存亡の危機など大きな変遷があったのだということが良く分かりました。

 御祭神:応神天皇、振媛命
 祭礼日:9月17日
 境内社:一社
 由緒:高向神社由来
 今より千四百年前武内宿弥六世の孫高向氏此の地一帯を統治し高向の郷と稱す 後の高椋村は之による 其の本拠は高田村に在り 高向氏の一女振媛命近江長浜に在住の応神天皇五世の孫彦主人大臣に嫁す 三児をもうけたるも夫君に先だたれ児を伴いて母在ます 高田村に帰る 第一皇子男大迹王尊長ずるに及び九頭龍川の治水農耕の開発等越前に治績多 し第廿四代武烈天皇没後嗣子なく中央より大連大伴金村物部鹿々火等に迎えられて第廿 五代の皇位につく 後に継体天皇と諡す 御陵は大阪府攝津市藍野に在り
 当神社は振媛命と夫君祖応神天皇を祀る

高向の里跡
 むかし、この地方を高向の郷と言い、第二十六代目の天皇となら れた継体天皇が住んでおられた宮の跡である。男大迹王はこの地で育てられた。大昔、荒泥沼であったところを九頭龍川の水口を切り開いて干拓し、坂井平野をつく られた。
 高向神社には、応神天皇と振媛 が祀られている。

高向の宮跡
 「日本書紀」によれば、五世紀の中頃近江国高島郡三尾に住んでいた彦主人王は、越の坂名井から振媛を妻として迎 えた。振媛は男大迹王(後の継体天皇)を生んだが、まもな く彦主人王が亡くなったので、幼い男大迹王を連れて故郷の高向に帰り、養育したとある。
 かっての、このあたりが継体天皇ゆかりの「高向の宮跡」 であろうと推定される。「延喜式」神社帳にある高向神社は、 四字久保庄あたりで『古堂様』と呼ばれ、振媛一族の氏神で あり、高向郷の総社であったとも伝えられる。





神社遠景
社頭
入口に立つ明神鳥居
社号標「式内高向神社」 鳥居に掛かる額
境内の様子
参道の様子
神殿
神殿に掛かる額
神殿木鼻・狛犬
本殿鞘堂
石祠の末社 「高向の宮跡」碑