池鯉鮒(ちりゅう)神社

福井市清水山町26-22(平成24年6月2日)

東経136度9分37.8秒、北緯36度0分28.29秒に鎮座。

 この神社は日野川左岸にほど近い小丘上に鎮座しています。今回参拝の予定がなかったのですが、ナビに出てきた変わった社名に惹かれ、急遽参拝することになりました。
 神社入口に台輪鳥居と社号標が立ち、鳥居を潜るとすぐ後ろに岡崎現代型の狛犬が居ます。その後ろは何処までも続くかに見える石段参道…、気分は超ブルー。もしかしたら可愛い狛犬が居るかも?と期待を胸に、心臓をバクバクさせながら一歩一歩上がって行きました。石段や両サイドの草刈りがきちんとされ、境内に上がると境内も清掃が行き届いています。こんなに大変な石段を上がって、神社をきちんと護って下さっている氏子さん達に、頭が下がる思いがしました。
 嬉しいことに居ました居ました…境内に昭和5年生まれの岩狛さんが居ました。此処までのきつい登りも忘れ、暫し感激の一時を送った後、入母屋造りの拝殿、流造の本殿の写真撮影。
 下りは、景色は絶景ではありますが、良くもこんなに登ってきたと思うほどの急勾配。メニエール病で目眩がする私は、夫に縋って恐る恐ると下界へと降りたのでした。
 家に帰ってから調べたところ、社の鎮座する尾根には、円墳4基と本殿の下に前方後円墳(現在は後円部だけが残っている)があるそうです。

 御祭神は鵜草葺不合命と思われますが、勧請年月・縁起・沿革等については案内がなく不明です。

「池鯉鮒神社」という社名について
 池鯉鮒神社の御本社・知立神社(ちりゅうじんじゃ、古くは ちりふ-)は、愛知県知立市にある神社。旧称池鯉鮒大明神。式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。東海道三大社の一社。日本武尊が東国平定の際に当地で皇祖の神々に平定の祈願を行い、無事平定を終えた帰途、その感謝のため皇祖神・鵜草葺不合命を祀ったのに始まるとされる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
 又、ノンフィクション作家である谷川彰英氏は『「知立」が「池鯉鮒」と書かれたのはなぜ?』の中で、知立=池鯉鮒について次の様に記されています。
 【この地は古代から「知立」「智立」と表記され、そのルーツはこの地に鎮座する知立神社にあることは事実のようです。由来に関しては諸説ありますが、いちばん信憑性の高い説は、知立神社の御祭神とされる「伊知理生命」(いちりゅうのみこと)の「知理生」(ちりゅう)に由来するというものです。ただし現在祀られている神様の中には「伊知理生命」はなく、この神様は謎に包まれています。
 この「知立」はなぜか鎌倉期以降になると「智鯉鮒」と書かれることになり、江戸時代になると「池鯉鮒」が一般的になります。東海道の宿場としては岡崎宿(三十八次)に次いで池鯉鮒(知立)宿が三十九次でした。
 神様に由来する「知立」がなぜ「池鯉鮒」つまり「池の鯉や鮒」に変わってしまったのでしょう。それは昔の人々のユーモラスな遊び心によるものといえるでしょう。今の知立神社に行ってみればわかることですが、土地の低い所に神様は鎮座されています。いわばここに池があって昔は鯉や鮒の産地であったということです。
 きっとこの地でとれる鯉や鮒は美味で、旅人があの宿に入れば美味しい川魚が食べられるという思いで池鯉鮒宿を目指したに違いありません。現代でも旅の楽しみは現地の美味しいものを食べることに尽きると言ってもいいからです。】

社頭
神社入口に立つ台輪鳥居
鳥居に掛かる額 社号標
参道の様子
何処までも続くかに見える石段参道
(見ただけで恐怖心を感じましたが、頑張って登りました。)
石段参道途中に奉納されている灯篭
境内入り口
境内の様子
昭和5年生まれの岩狛さん
福井市・白山神社についで見かけた岩狛さんです。阿吽の位置が反対で、岩に牡丹が彫り込んであるなど、九州の岩狛のスタイルは取り入れていますが、狛犬は福井の子達です。一段と派手な印象を受けますね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和5年(1930)4月建立)
入母屋造りの拝殿
流造の本殿
境内から入り口を振り返る