左右天命弁財天

浦安市猫実(ねこざね)2-23-1 (平成22年1月19日)

東経139度54分04.87秒、北緯35度39分19.95秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
この神社(さゆうてんのみことべんざいてん)は、豊受神社と道路を挟んで反対側の細い路地の先にあります。この路地が神社への参道になります。近づくと水音が聞こえてきました。池の水を循環させている音でした。境内はたいへんきれいで、地元に密着した神社にみえました。

猫実の弁天様
明治十七年十月(1884)川島という人が建立した。この弁天様は猫実の弁天様といい、左右天命をお祀りしてある。
弁天様は*灰やのくるわに災害が起る前には、女の姿になって現われ、災害を未然に教えたり、大津波の襲来を予告したりして常にくるわの人達を救ってくれるといわれ、非常に霊験あらたかなところから、信者が多く、特にくるわの人々は付近の守り神として崇拝している。
大正六年(1917)の大津波で堂宇が流出してしまったので、くるわの人達は浄財を持ち寄って弁天様を再建した。
堂宇の中には、行徳の後藤仏具師の作による弁財天が本尊として安置してある。
灰やのくるわの人々は、毎年一月、五月、九月の三日にお祭りをしている。
浦安市教育委員会。原文はこちら。

『大正6年の大津波』(大正6年10月1日)
気象台開設以来の最低気圧を記録した台風は、満潮時と重なり、東京の北湾岸一帯には稀にみる大津波が押し寄せ、区内各町は大正風水災史上最大の被害をこうむった。(浦安町も同様だったでしょう)
(災害伝承情報データーベース より)
*『灰やのくるわ』(へいやのくるわ):地域の旧名

管理人の一言。
明治十七年には、廃仏毀釈の嵐は収まっていたのでしょうか。それ以前の弁天様は大半、御本尊を市寸島比賣命に、社名は厳島神社とか市杵島神社に変えられています。

神社入り口

入り口の岡崎型狛犬

(昭和60年(1985)4月吉日建立)

社殿

社殿の龍と狛犬

後ろより見る社殿