浅間神社

東金市砂古瀬484 (令和7年4月9日)

東経140度23分01.04秒、北緯35度30分44.79秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
東金九十九里有料道路小沼田インターから南南西に1kmの位置に鎮座。福岡小からは北に240m程の位置です。残念ながら、狛犬さんは居ませんでした。

御祭神 木花開耶姫

由緒
拝殿が建てられたのは棟札(むなふだ)により弘化四丁未(ひのとひつじ)年(一八四七)であってその四年後の嘉永四辛亥(かのとい)年(一八五一)に石造の鳥居が立てられている。右柱に「千眼大菩薩」と刻銘がある。また飯高庄衛家には「千眼宮」と書いた額がある。この社の創建は伝説によれば、上述の飯高家は千葉氏の後裔で下総国飯高村(八日市場市)に居城したが、天文・弘治年間(一五三二−一五五八)の関東の乱を避けて二之袋村に来り、更に砂古瀬村に土着したという。年代は不明であるが、同家の祖先に篤信家がおり、毎年馬に乗って富士登山すること四八度におよんだが、高齢のため行けなくなり、その分霊を当時ささげ畑であった所に勧請した。その時大雪が降ったといわれる。六月朔日のことであったともいわれている。境内の末社に「御室様」(オムロサマ)と称する小祠があり、方俗に木花開耶姫の姉宮であるという。区内に日蓮宗の浄蓮寺があるが、神仏習合時代に別当寺であったかどうかは不明である。
(以上 東金市デジタル歴史館より一部抜粋)

一の鳥居。参道の真ん中に鎮座する公民館なので、この位置から拝殿は見えない。

二の鳥居と御神木

公民館

明治十三年建立の石段と拝殿

手水舎と手水石

向拝と石灯篭


不明の小屋

桜と拝殿