下立松原(しもたてまつばら)神社

南房総市白浜町滝口1728 (平成28年10月1日)

東経139度52分15.18秒、北緯34度54分42.72秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
最寄りに駅はなく、館山駅からバス停「松原神社前」へのバスは1日に数本しかない。 当日、壁画殿が開放されており、絵を見ることができました。

『義経記』には、石橋山の合戦に敗れた源頼朝は安房に逃げのびたが、まず洲崎神社に参拝した後、瀧口大明神(当社)で一夜を明かしたとある。江戸時代以前には「小鷹明神」「瀧口明神」と称していた。

主祭神 天日鷲命・天太玉命・天富命・伊弉諾命・伊弉册命
配祀  阿八別彦命・須佐之男命
合祀  住吉大神・高倉彦命・大麻産靈命・高雷命・闇雷命・高皇産靈神・神皇産靈神・倭健命柿本人丸・高靇命・闇靇命・天忍日命・天照皇大神・磯根御氣姫命・衣通比賣命・木花開耶姫命・金山彦命・菅原道眞

御由緒
下立松原神社は、「通称・小鷹明神」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。創建は神武天皇元年と伝えられています。祭神は、天日鷲命・天照大神・高皇産靈神・天太玉命・大麻彦命など14柱を祀っています。阿波の忌部の祖神天日鷲命の孫由布津主命が天富命とともに当地方の開拓に当った時に、天日鷲命をお祀りしたのが当社です。源頼朝や里見義実など武将の崇敬篤く徳川氏からも朱印地を受けています。境内には厳かな雰囲気を漂わせています。神事として館山市の鶴谷八幡宮の国司祭に神輿出祭します。例祭には山車が氏子地域で引き廻されます。
まるごとe!ちば>観光情報検索> 下立松原神社 より

当神社は天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祀る式内社で、昔、朝廷の命により、天富命(アメノトミノミコト)が天日鷲命の孫・由布津主命(ユフツヌシノミコト)、その他の神々と当地方開拓に上陸し、後由布津主命が祖神の天日鷲命を祀った社で ある。
上陸当時、野山に鹿が多く、住民がその被害に苦しんでいたのを神々が狩を行い害を除き、住民を安堵させた神徳を慕い、今も神狩の神事として旧暦十一月廿六日より十日間、神狩祭が行われている。
なお大鹿の角が社宝として現存している。古来よりこの神社は武将の尊崇も厚く源頼朝公、里見義実公など太刀を奉納して武運長久を祈願している。
又、安房の式内社であった天神社が昭和初期当社に合祀されている。
参道入口の案内板 より

御朱印

宮下橋

社号標

最初の階段

一の鳥居

参道脇の后神社
阿波忌部(いんべ)の祖神天 日鷲命(あめのひわしのみこと)の孫由布津主命(ゆふつぬしのみこと)の后で、
房総を開拓した天富命(あめのとみのみこと)の娘の飯長姫命(いいながひめのみこと)を祀る。

参道脇の招魂社、手水石・嘉永三年(1850年)

石灯籠・嘉永二年(1849)&二の鳥居

灯籠台座左

石灯籠・享保8年(1723)

阿は宝珠、吽は角付の剽軽な江戸なか狛犬。拡大写真はこちら。
(寛政6年(1794)6月吉日建立)

手水舎、手水石・慶応四年(1868)

拝殿

江戸の狛犬と比して決して劣らない名品の江戸狛犬。拡大写真はこちら。
(明治3年(1870)11月吉日建立 石工・正吉内 山口金蔵重信作)

本殿


天神社
当天神社は高御産巣日神、神産巣日神を祀り下立松原神社と同様延喜式内社でもとは白浜城址の北方片倉に鎮座で後に本郷谷部落に移り三月廿五日の大祭には村芝居も行われていたが経営の都合上昭和参年に下立松原神社に合祀となり、社殿も此の所に移し下立松原神社の神輿殿となったが、後別に神輿殿を改築しもとの如く天神社を祀ったものである。

壁画殿

神輿庫