木更津市吾妻2-7-55 (令和7年12月17日)
東経139度55分23.12秒、北緯35度23分16.63秒に鎮座。![]()
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
JR木更津駅から北西に1.3km程で、近くに吾妻公園と陸上自衛隊木更津駐屯地があります。
御祭神 弟橘姫
由緒
祭神は弟橘姫で、江戸砂子に「君去津吾妻大明神は即ち立花姫の霊社也」とあり、社殿にも日本武尊東征のみぎり相模から上総へ渡ろうとした時、海上にわかに荒れ海に投じた姫のお袖が数日後にこの近くの海岸に標着したのでこれを納めて吾妻神社を建てたとあります。
(以上 神社由緒書より一部抜粋)
昔、ここを吾妻の森といった頃、森を中心に小池があり、これを「鏡ヶ池」と呼んで居りました。これも日本武尊の悲しい物語に由来するものと思われますが、つまびらかではありません。
祭神は弟橘姫で、江戸砂子に「君去津吾妻大明神は即ち立花姫の霊社也」とあり、社伝にも日本武尊御東征のみぎり相模から上総へ渡ろうとした時、海上にわかに荒れ海に身を投じた姫のお袖が数日後この近くの海岸に漂着したのでこれを納めて吾妻神社を建てたとあります。
君去らず 袖しが浦に立つ波の その面影を 見るぞ悲しき
境内由緒書きより。
道標と建立者。吾妻神社の指の方向に鳥居が見える。右は江戸道。
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安政五戊午年(1859)建立の道標。日本橋小網町にある釡屋もぐさ本舗は、創業1659年(万治2年)のもぐさ(お灸)専門店。もともと鋳物師の家系だった初代が廻船問屋として日本橋で独立し、故郷の近江辻村(現在の滋賀県粟東市辻)のもぐさを仕入れ、旅の携帯用として売り出したのが始まりだという。釜屋治左衛門の艾店では、市中で切艾の振り売り(店以外で商品を売り歩く行商)を行っていて、この道標が木更津でも商売していた証明となる。
神輿を埋めた祠。昔、この辺りに大きな神輿があり、祭りで担ぐと怪我人、死傷者が出たので金輪際担がない様にここに埋めたとか。
バス停。左奥の海側には自衛隊の基地あり。
神社入口
境内
正月の準備中
石灯篭・大漁祈願石灯篭。裏に金刀比羅大権現と彫られた文政十三年(1830)奉納の石燈籠。
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茅の輪と狛犬
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
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(石工 木更津町 鳥飼弥三郎 明治40年(1907)9月吉日建立)
左右の石灯篭。何故か紀の文字が入ってる嘉永紀元年(1848)の石燈籠。
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向拝
龍と日本武尊に弟橘姫
左右の木鼻
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拝殿内部・欄間額。左に「公爵 一條 實孝」(さねたか)と書かれている。?
本殿
富士塚鳥居
富士塚。文久三年(1863)八月に徳行明鐘が富士登山三十三度の大願成就を記念して建立。平成になりここに移設された。
山王様
浅野様。江戸時代末期一八六七年に、二十五歳前後の浅野作造頼房が徳川恩顧の地である木更津を中心に同志を募って貫義隊の旗をあげ、官軍と戦いました。剣の腕が立つ浅野でしたが、最後は横田の寺で白兵戦の末、撃たれ亡くなりました。その後、官軍は吾妻神社近くに浅野を晒しました。
稲荷様
金毘羅宮
庚申塔
一七九四年建立の歌碑
御神木
右側青面金剛・三猿庚申塔。標を兼ねた三猿庚申塔。珍しく三面分離型の庚申塔で、これよりひがし えどかいとと彫られている。猿は言わ猿だ。
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延宝八庚申の見猿。延宝八年(1680)三月造立の見猿。珍しく最後は敬白となっている。最初の二時も珍しい。
聞か猿。この面は聞か猿で、村と彫れているので奉納者の地名が彫られている様だ。
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弟橘姫が使ったと云われている鏡が沈められた池。
水神様