人見神社

君津市人見892(平成17年3月5日)

この神社は人見山の山頂に鎮座し、君津、富津の海岸地域旧17ヶ村の鎮守の氏神として崇拝されてきました。社伝によると、平安中期の名門、千葉氏一族が代々守護神として崇敬してきた妙見大菩薩を、上総介に任ぜられた平忠頼が鎌倉の地から人見山に移し 祀ったと伝えられ、両総妙見の一つとして広く知られています。祭礼は毎年7月22日に行なわれ、神事の中に「おめし」と呼ばれ、350 年余の伝統のある神馬奉納の儀があり、海の大漁と村の豊作を祈ってこの行事を受け継いできたのです。
人見神社入口の石碑から山道の階段を登る事、323段。息を切らして境内にたどり着くと爽やかな風が吹き、眼下には君津の町と東京湾が望めました。一息入れてからおもむろに境内を見回すと古い狛犬なのに口中を真っ赤っかに塗られた子が居ました。「あ〜ぁ、勿体ない」と思いながら摂社の方を見ると居ました。もう一組の狛犬さんが。でも近くによると可哀想に、明治生まれなのに石の材質のせいか風化が激しく、ほとんど原形を留めていませんでした。

(文化元年(1804)秋建立)

(明治12年2月吉祥日建立)

この神社には日本武尊神の逸話も残っており、其れによると海神の怒りを鎮める為海に身を投げて夫を助けた妻・小戸橘姫を忘れる事の出来ない日本武尊は、亡くなられてしまった妻神を慕いこの地を離れがたく、この場所に毎日佇んでは姫神を忍んでいたそうです。その神の思いが君去らず=木更津.君津になり、妻神の吾妻神社、櫛が流れ着いたところに櫛型(くしかた)神社、袖が流れ着いたところには袖ケ浦市など、房総半島には小戸橘姫に関わる地名が多数遺されているそうです。そして小戸橘姫の亡がらは、茂原市に橘神社として祭られています。


由緒沿革はこちらでどうぞ

神社入口、ここから長〜い
階段登りが始ります

境内入口の注連縄、
緑色は初めてです

立派な拝殿

拝殿横から本殿を見る

拝殿をお守りしている右大臣、左大臣様

赤く塗ってくれなくてもデフォルメ化により充分存在感があるのに・・・

ワンコ狛犬みたいで元はとでも可愛いみたいなのに、残念です

境内から見えた君津市内と東京湾
    嗚呼、絶景かな