御霊神社

君津市中野1-26-22(平成17年3月5日)
                (平成19年2月11日)再訪

 この神社は内房線君津駅から南へ約400メートル位に鎮座する神社です。前回の参拝時には「御霊といいますが由緒書きがなかったので創建も御祭神も分りません。ただこの地方には大友皇子の伝説がありますのでそちらの関係かな?と私は思っています。」と書き込みをしましたが、今回は境内の清掃をされている氏子代表さん達とお話ししたところ、「現在は社名を普通の『御霊神社』と書きますが、昔は『五霊神社』と書いていたのですよ。詳しいことは分かりませんが、大昔、最初にこの辺りを開拓した、五人の村の開祖を祀っているんですよ。」と教えて下さいました。大友皇子関係と思っていた私の考えは穿ちすぎの様でした。

 由緒:創建は不詳ですが、社のおかれてる地形からみて、この地方の開祖を神に祀ったのが創めと考えられます。社伝によれば、大昔の中野の開祖(郷士)、鈴木氏(大原)、高橋氏(伝左衛門)、大野氏(新左衛門)、錦織氏(藤左衛門)、石井氏(八郎衛門)の五霊を祀ったのが起源であるといわれております。
 後に万延4年(1863)、悪病退散を祈願して人見神社の御霊分けと思われる、高皇産霊神を併せ祀るようになりました。又、日本古来の神仏習合の思想により、何時の時代か定かではありませんが、神社奥殿に御神体として「大日如来坐像」が安置されていましたが、第二次世界大戦後の混乱期に盗難にあい、その後、昭和44年「釈迦如来」が御本尊として安置されました。
 また明治43年に東前の大六天社、内出の常盤神社、小原の飯縄神社、大原の稲荷神社、高井の稲荷神社、中原の天神社の六社を本殿に合祀しました。
 昭和47年には中野地区に於いて区画整理事業が始まり、都市計画道路の造成に呼応して、神域の改修、社務所、祭囃子保存会詰所、山車庫の建築をし、神輿、山車も備え、神社としての設備が整いました。
 例祭は10月の「体育の日」の前日の日曜日です。
(まてばの会・御霊神社の由来と変革より)

神社入口 境内入口
立派な拝殿 拝殿内の様子
奥に本殿正面
拝殿向拝の見事な鳳凰の彫刻

少しギョロ目ですが、なかなか迫力がある木鼻狛犬

本殿覆い屋 境内右側の境内社
近隣から遷座された様で女の人の講があるそうです。

珍しく双方吽で右は宝珠、左は角を付けた貫禄充分な江戸期狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで

(文化13年(1816)9月吉日建立)

境内左脇の末社二社 境内左奥の富士嶽神社
富士嶽神社の山頂に一体だけ居る先代狛犬。
足が無くなっても相方が居なくても、境内の片隅で社を護って頑張っています。
庚申塔、末社など 庚申塔、末社左隅に居る、
これも一体だけの江戸流れ狛犬。
千葉といえば水仙でしょう。
境内に彩りを添える可憐な花々。
境内のご神木