國府神社

市川市市川4-4-18 (平成22年4月1日)

東経139度54分26.23秒、北緯35度44分12.86秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成国府台駅より松戸街道(県道1号)を400m程北上した所に参道入口があります。住宅街の中の小高い所に鎮座しています。境内より江戸川の土手が見えます。

伝えによると、景行天皇の皇子、日本武尊が東征のおり、下総の賊を平定してこの台地に陣を張りました。そして武蔵国に向かおうとしたのですが、下総と武蔵の台地の間には、たくさんの河川がデルタを形成していたため、船を使わず浅瀬を渡ることはできないものかと思案しました。
このとき一羽のコウノトリが現れ、尊の前にかしこまって「私が浅瀬をお教えいたしましょう、どうぞ私について来てください。」と申しました。尊は大軍を率いてコウノトリの後に続き、難なく武蔵国の台地に着くことができました。
尊はコウノトリの功績をほめて、下総の台地をコウノトリに授けることにしました。このことから、この台地がコウノトリに与えた台地、即ち「鴻之台」と呼ばれるようになったと言います。(本来は下総国府の置かれた台地であるところから国府台の名称が起こったものです。)
本神社はこの伝承に基づいて、御祭神を日本武尊、そして「コウノトリの嘴」を御神体として、寛治元年(1087)二月八日の創建と伝えています。一時は「鳳凰大明神」と呼ばれたこともありましたが、下総国府に建てられた神社であるところから、国府神社と称されるようになりました。・・・・・
境内由緒書より。原文はこちら。

管理人の一言。
京成国府台駅は「こうのだい」。一般に国府は「こう」と発音しますが、神社名は「こくふじんじゃ」と読むようです。

古代の国府は現代では国府と書いて「こう」と読む地名として全国に残っている。府中は中世・近世に生まれた地名で、当時の国府・守護所に由来する。国府と書いて「こくふ」と読む地名には、近代以降に国府推定地に新たに付けられたものが多い。国分寺に由来すると思われる国分(こくぶ)を国府に変更した例もある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

神社入り口

参道

拝殿と狛犬

台座の上に居ますが、獅子山のような姿勢をしています。拡大写真はこちら。

(昭和3年(1928)10月建立)

拝殿

神額

本殿

稲荷神社・天満神社(どちらが稲荷か天満かは不明でした)

境内からの展望