諏訪神社

市川市平田2-23-12 (平成24年7月4日)

東経139度55分16.66秒、北緯35度43分28.32秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
京成「菅野」駅より南西へ徒歩数分の所、平田特別緑地保全地区の中に鎮座しています。葛飾八幡宮の兼務社。
例大祭は初 日は子供神輿、二 日目は御柱担ぎと神輿、三日目が御柱建立となります。境内は綺麗に整備されていました。神社の横は京成本線の下を千葉外環を通す大がかりな工事が進行しています。静かな町もうるさく変わっています。

御祭神 建御名方命

御由緒 分かりませんでした

市川市菅野に戦後、幸田露伴や永井荷風が引っ越して来ました。荷風の日記(摘録 断腸亭 日乗(下)永井荷風著 磯 田光一編 岩波文庫)より
昭和21年8月八月初二。時ゝ驟雨。午前小滝氏来話。昨日より闇市取払いとなり八百屋にも野菜少し。白幡祠畔(しはん)の氷屋六平心やすければ立寄りその畠につくりし茄子胡瓜を買つてかへる。隣室のラジオ今夜もまた騒然たり。封鎖預金いよいよ没収の風聞あり。八月初三。晴れまた陰。午前隣室のラジオ既に騒然たり。頭痛堪がたかぶれば出でて小川氏を訪う。午後小川氏来話す。夕飯後机に向ふに家内のラジオ再び起こる。鉛筆手帳を携へ諏訪神社の林に至り石に腰かけて数行を草する中(うち)夜色忽(たちまち)迫り来り蚊もまた集まり来る。国道を歩み帰宅後に耳に綿をつめ夜具敷延べて伏すしぬ。この有様にては五月以来執筆せし小説『さち子』の一編も遂に脱稿の時なかるべし。悲しむべき。
荷風の市川での生活は、昭和21年1月16日、菅野258番地(現菅野3丁 目17番地付近)の借家の一室からはじまった。ここに荷風は、従兄の杵屋五叟(大島一雄)一家とともに暮らした。長唄の三味線方の五叟と著述業の荷風、一つ屋根の下に暮らすには、生業があまりにちがいすぎた。隣室から聞こえてくる稽古三味線やラジオの音を避けて、荷風はしばしば近くの白幡神社や、諏訪神社、市川駅の待合室で読書をし、時間を費やした。
この部分、市川市ホーム> 文化・観光情報> 文化> 文化人> 荷風の散歩道 より

一の鳥居、手前千葉街道。

社額と社号標

参道

二の鳥居

手水舎&クロマツ、右側が海側。

石燈籠

境内は砂地(市川砂洲)

拝殿前の獅子山。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿&一番、二番御柱。

御柱

三番、四番御柱

拝殿内部

拝殿と本殿

本殿


美保社・出雲社

稲荷大明神

天満天神宮

左、湍津姫命・右、御神名不明

湍津姫命


参道の紫陽花

東京外環アンダーパス工事

菅野駅