源心寺

市川市香取1-16-26 (令和8年2月22日)

東経139度54分24.11秒、北緯35度40分40.96秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この寺院は、東京メトロ東西線・南行徳駅の北1km程の辺り、香取の街中に鎮座しております。源心寺は西光山と号し、永正年間(1504〜1521年)、 不動尊像を祀った安楽院という草庵の地に、浄土宗大本山芝増上寺の中興観智国師が開山となり、慶長16年(1611年)に創建されました。行徳・安浦観音霊場三十三ヶ所25番札所です。いぼ取りで知られる不動尊です。

御祭神 

由緒
永正年間(1504〜21)この地に不動尊像を祀った安楽院という草庵が建てられていたといわれ、葛飾誌略には「安楽院地中なり、古き草庵にして、昔は今井金蔵寺末にて正念寺といふ。源心寺建立有りしより地中となれり」とあります。
この源心寺の開山は徳川家康の帰依を得た、浄土宗芝増上寺の中興観智国師で、国師の父は天正18年(1590)北条氏照の家臣として、八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。
当時同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、狩野新右衛門は行徳に来住し、観智国師の教化に服して私財を喜捨(寄附)し、慶長16年(1611)新たに堂宇を建立したのが、この源心寺なのです。
新右衛門は浄天と号し、荒地の開発を行い田畑を開墾し、村人に耕作をすすめましたが、このとき当代島の開発に当たっていた田中内匠と協力し、鎌ケ谷の囃水を水源にして南西に流れる大柏川から水路をとり、八幡の東部から行徳、南行徳を経て浦安に流れる大灌漑用水路の開削に当たりました。
この水路は内匠堀、または浄天堀といわれ、市川から浦安にかけての新田開発に、なくてはならぬ大切な用水路となったのです。
浄天は寛永6年(1629)3月他界しますが、浄天夫妻の墓石及び専誉受心(浄天の娘か)によって建てられた供養塔は、共に市の文化財に指定されています。
境内にある六地蔵は、その内の五体が専誉受心の寄進によるものであり、向かって左から二体目が浄天菩提のために、また右から二体目は専誉受心が逆修として建立したものです。
境内由緒書き より。

入口

山門

安楽院不動尊

不動尊前の狛犬。拡大写真はこちら。

 

(年代不明)

童子像

 

不動尊内部


六地蔵

閻魔大王

鐘楼

石塔等