二宮神社

船橋市三山5-20-1 (平成21年11月5日)

東経140度3分20.2秒、北緯35度41分55秒に鎮座。

【神社情報・1948さんより】
此の神社は下総三山の七年祭り参加神社の一社で有り、参道は、鳥居を潜ると下りの階段があり低地の参道を歩いていくと上りの階段があり、上りきった所に二の鳥居がある。
低地の参道を歩くと、左に古井戸があり水路(清流というべきか)を渡る。この清流の流れは菊田神社の池(現・水鳥公園)に通じると云われている話があります。

御祭神:速須佐之男命・稲田比賣命・大国主命・藤原時平・大雀命・誉田別命
弘仁年間、嵯峨天皇の勅創。古来、寒川神社、二宮大神と称していた。治承4年藤原師経が当国へ左遷された折、藤原時平公を相殿に合祀した。
文安2年、馬加の城主千葉康胤の奥方が懐妊11ヶ月になっても、出産の模様がなく、康胤は心配して二宮神社他畑・武石・馬加の神職に、馬加の磯辺において安産祈願を命じ執行後間もなく無事出産されたことにより、康胤は御礼の祭典を近郷21ヶ村の総社二宮神社において盛大に執行した。これが7年大祭の起源である。現在丑年・未年の7年目毎に、当社他8神社の神輿を集めて大祭を行っている。
慶長年中、東照宮が上総国東金へ御成りの際参詣され、御墨印をよせられ、2代将軍秀忠公より御朱印の寄付があり、3代将軍家光公より御朱印を以て、下総国千葉郡三山村において神領10石の奉献あり、貞享2年6月11日5代将軍綱吉公より社領の寄付等明治43年12月16日、千葉郡二宮村三山字北ノ海道の無格社若宮八幡神社、同所字西庭の摂社阿波八幡大神を本社へ合祀した。
千葉県神社庁公式サイトより。

藤原師経をインターネットで調べてみると・・・六条河原で斬首となっているとのこと。
藤原時平の子孫が久々田に流れ着き、深山(三山)に住み着いた後二宮神社の神主になり、また、高津には時平の娘が住み着いた。と云う話もあります。
高津(千葉県八千代市)にはこの娘を祀った高津比盗_社(七年大祭に参加)があります。

神社入り口

参道。確かに一度下がり、又登って境内となるようです。

二の鳥居と境内

境内入り口の狛犬

拝殿

拝殿前の江戸流れ狛犬

本殿

末社

社務所 御輿倉

手水舎

9月13日、小祭の様子