和田不動尊

銚子市植松町6201 (令和7年6月22日)

東経140度51分28.17秒、北緯35度43分54.44秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
銚子電鉄本銚子駅から北東に直線距離で700m、南側に明神小学校あり。

不動堂、太子堂、波切不動尊、稲荷、公園など何でも有りの観を呈する不動尊で、江戸時代は和田山宝山寺と呼ばれ、円福寺の境外仏堂であった。川口神社が漁船機関士や魚業関係者の守り神なら、和田不動尊は守備範囲が広く一般大衆の 守り神だった様だ。境内には公園もあるが、可なり荒れ果てていた。

御本尊 不動明王

由緒
和田不動尊の創建は、本尊である「不動明王像」の底部にある墨書銘から1720年(享保5)と伝えられています。円福寺の境外仏堂として、漁業関係者の信仰を集め、飯沼観音に次ぐ信仰者を誇っていました。
境内由緒書き より。

神社入口と山号標。昔は石橋の左右に湧水を引いた滝が存在したが、今は涸れてしまった様だ。しかし少し離れた東側の崖からは、今でも湧水が見られる。また昔はアジサイもこれ程多くは無かった。

生きる狛鷺。幸運にも狛サギと遭遇。絵になってる。

石橋・右の滝跡。瀧は倶利伽羅龍の上から流れ落ち、龍の口から水が流れ落ちたそうだ。

倶利伽羅龍・扁額。月龍の文字が確認出来る。

不動明王像・宝剣と不動明王像

石段上部

波切不動尊

大師堂?

昭和九年造立の大師様・歌碑?

手水舎・手水石

左右の灯篭(日本橋の魚河岸奉納)

狛犬と不動堂。案内板に依ると、不動尊は入母屋造りの瓦棒銅板葺きで、棟札によれば1849年(嘉永2年)以前の建立です。

不動堂前の狛犬。拡大写真はこちら。

(嘉永2年(1849)己酉3月吉辰建立) 昔のドイツ軍のヘルメット風なヘアースタイルの狛犬さん。阿吽の区別は付かない。左右とも子供付。

向拝

龍と木鼻の狛犬。禅宗様式の木鼻。中々状態の良い彫刻でした。

扁額。陸軍大将荒木貞夫が昭和十年九月に奉納した扁額。荒木貞夫は明治10年〜昭和41年陸軍大臣、政治家などを務めた。

右壁。扁額は不動堂と書いてあるのかな?


大師堂と大師様

子安観音など

石仏

稲荷入口

大師様

稲荷。稲荷の上に更に道があり、その上は植松町市営住宅だった。

青面金剛

左から二つ目の造立正徳元年辛卯(1711)の青面金剛。しかし左側には元文五庚申(1740)十二月廿四日とも彫られている。後から追加して彫ったのかな?