金刀比羅神社

千葉市花見川区幕張町1-768 (令和7年6月1日)

東経140度03分06.18秒、北緯35度39分32.02秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
県道57号線の浜田川に架かる下八坂橋から57号線を東に50m進んだら左折し、50m進むと道路右側が神社入口(西側)です。また京成幕張駅から西に直線距離で700m程の位置になります。

金刀比羅神社だが、第六天神社も祀ってる神社です。 奉納物を調べると、幕張だけでなく習志野、船橋辺りからも信奉されていた様だ。 石宮の台座には津田沼サギ沼の廣瀬音五郎の名前が彫られていたが、残念ながら狛犬さんは別の石工らしい。社殿は台風で倒壊したらしく無くなっていた。廣瀬音五郎さんの石造物とは今年これで二回目の対面となった。

御祭神 金刀比羅神社・於母陀流神・阿夜訶志古泥神・金毘羅大権現・第六天神社・面足惶根二命

由緒
「天明8年2月15日青柳村市川氏与兵衛の家内より遷し、同年9月23日、遷宮奉り、以後御利益を現わし、隣村他郷より参詣人群集をなし」 と大正5年の幕張町誌にある。古来よりの言い伝えによれば、幕張の海は馬加(現在の幕張1丁目より5丁目と習志野市屋敷町を含む)・武石・鷺沼の浜稼ぎ場としてきた。とりわけ漁民に信仰心が篤く幕張町2丁目の金毘羅神社と並んで武石の真蔵院の寺内に浪切不動尊が鎮座し、海で働く漁師らに最も崇拝され、加護を求める参拝者が後を絶たなかったといわれ、今日まで近隣漁師の海上安全を祈り、参詣、参拝していたことが明らかになっている。
(幕張郷土誌より)

下八坂橋バス停。右上が県道57号線から見た鎮守の森。100m程西に下八坂橋はあります。1960年頃までは57号線の左側は海だった。

東側の入口

左石灯篭。寛政四年(1792)吉日の石灯籠。西側入口よりも古そうだ。

右石灯篭

手水石(藤崎村)。藤崎村は明治22年まで習志野に存在した村。町村制施行により津田沼村になった。


西側の入口

右石灯篭・琴平講社

参道

鳥居

力石

舗石寄付碑。文久三癸亥歳(1863)建立の敷石寄付碑なので、西側の石灯籠より新しい。船橋五日市宮坂は現在の海老川東岸の京成大神宮下駅辺りらしい。石工は勘次郎。

石段上部

御神木

手水石・文政十二年(1829)、または十三年(1830)に夫婦で奉納した手水石。

南側の残骸

境内北側

石灯篭と狛犬。習志野市鷺沼の根神社の石灯籠とそっくりなので、これは廣瀬音五郎の作品かな。

獅子・唐獅子牡丹。これは廣瀬音五郎さん風な獅子。

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

石工、年代、奉納者とも全て不明。廣瀬音五郎の作品とは思えない。

石宮跡。昔はここに社殿があったのかな?当時の写真が残って無いのは残念だ。

中央

左右の石祠

壊れた石宮。壊れた石宮の左側に船を所有する方の名前と寄付金額が彫られている。石工は幕末から明治に活躍したサギ沼の廣瀬音五郎さん。

石宮上部

幕張町漁業共同組合の組合員が金刀比羅神社に参拝した記念碑で、昭和四十三年六月に建立された。

第六大神宮修繕碑・明治二十三年四月

境内南側

御神木