諏訪神社

千葉市中央区都町571(平成19年4月15日)

東経140度8分50.19秒、北緯35度36分42.85秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
江戸時代この地は辺田村と呼ばれ、その氏神であったのが諏訪神社であったそうです。諏訪神社については肝心の由来などの表示板が無いため、詳しい事は町内会の管理者に聞いてみなければ分かりません。工事履歴などはあちらこちらに残されているのですけれど。

御祭神:建御名方命・市杵島比賣命・菅原道真公・大名持命・保食命

諏訪神社は1756年に新築され明治26年11月に火災にあい12月に修理をしているそうです。下段の明治27年生まれの狛犬は火災後に直ぐ作られた訳ですね。上段の安永9年生まれの狛犬の痛みが激しいのは火災の為でしようか?本殿は明治41年(1904年)に再建されたそうですが、その後も震災や戦争などがあったので幾度も修理していると思われます。平成になってから大土木工事をしてますが、この件に関しては神社内に何も記録されていません。

神社入り口

石段下左右の狛犬

(明治27年(1894)建立)

拝殿前の狛犬

(安永9年(1780)12月吉祥日建立)

拝殿

本殿。見事な彫刻です。

寡聞にして千葉県で見るには初めてです。出雲地方では時々見かける「社日」。

雑節の一で、春分・秋分に最も近い前後の戊の日。社とは中国で土地の守護神、または部族の守護神、その祭祀のことをいったから、社日とは社の祭を営む日のことである。中国では社の祭は時代や地域によって一様でないが、唐代には立春と立秋後の第五の戊の日をあてたという。『荊楚歳時記』の一本には、秋分の日に牲をもって社をまつり、仲春の月よりも盛大に祝って、翌年の豊凶をも占ったという。日本の社日はこの中国から伝来したものであるが、稲作が開始される春と、収穫を迎える秋とに祭る田の神の信仰を基礎に受容したものであろう。現在の習俗でも、春秋の社日には仕事を休み、土をいじらないなどと伝えている。そして東九州や北九州、中部地方などでは、社日様は田の神または作神様といい、この両季に田の神と山の神の去来信仰と同様の伝承をもっている。
神道辭典より。

今回再確認すると、倉稲魂が稲倉魂とか、姫が媛だったり、安が山だったりして、若干表記に違いがあるようですが、基本は総てこの五柱の神です。正面は必ず天照皇大神。その他は決まっていないようです。地方により、お祭りのやり方が違うようですが、春と秋の二回。春の社日には五穀の種子をまつってその豊熟を祈り、秋の社日には稔った作物の初穂を供えて、感謝の意を表する。旧暦で春の社日は種まき、秋の社日は収穫の目安となっており、全国的には春分、秋分にいちばん近い戌の日をあてるといわれているようです。この神社ではすでに、お祭り( 社日待ち)は行われていないのでしょうか。社日の前に人々が集う場所がありません。都市化とともに忘れさられたようです。

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