十和田市滝沢中渡68-2 (令和6年7月28日)
東経141度13分53.39秒、北緯40度31分53.08秒に鎮座。
この神社は、五戸町役場の西7km程の辺り、中渡の街中に鎮座しております。旧国道4号線沿いの藤島から、県道戸来十和田線を7qほど進んだ中渡集落に、中渡八幡宮があります。
御祭神、由緒等不明。
由緒
南部氏の祖の氏神である八幡宮を甲州から遷し創建したと伝えられ、八戸の櫛引八幡宮と深い関わりを持っている歴史ある神社です。
創建については上述のほか諸説あり、滝沢地区の旧家、滝沢家に伝わる『陸奥南部糠部郡滝沢中渡正八幡宮縁起』(正徳5(1714)年)によると、南部家家臣の滝沢某が、」甲州から御神体を背負って来て中渡に小社を建て安置した、とあります。滝沢某は、ある時、良い夢をみて、社を他に遷そうと考えます。たまた飛び立った鳩を追ったところ、櫛引の里にとまりました。これを神のおぼしめしと思い、櫛引に社を遷します。これが、櫛引八幡宮となります。一方、中渡の旧社は荒廃していきましたが、正徳4(1713)年滝沢義昌が改めて小社を創建ししました。
櫛引八幡宮は、南部家の庇護のもと南部領総鎮守一宮の地位を確たるものとしました。中渡八幡宮は、「滝ノ沢本宮八幡宮」と呼ばれ、滝沢家は櫛引八幡宮の「御神事御用」を明治の初めごろまで担ったといわれます。
両社との関わりが深い滝沢家は、家に伝わる古文書類を市に寄贈しており、現在解読が進められています。
十和田市公式サイト より。
神社入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和48年(1973)旧6月18日建立)
注連縄
木鼻
拝殿内部
本殿
慰霊碑