福一満虚空蔵菩薩堂

八戸市南郷島守大開 (令和6年7月30日)

東経141度28分45.96秒、北緯40度24分47.16秒に鎮座。

この神社は、八戸自動車道・南郷ICの東3km程の辺り、大開の街外れに鎮座しております。

御祭神 虚空蔵菩薩

(空慧の庫蔵猶虚空の如くなれば虚空蔵と名づけ、広大無辺一切の功徳を包蔵すること虚空の如くなれば虚空蔵と名づく。
)智慧、開運、交通、海上安全、学業成就、家内安全、縁結びなど諸願成就の菩薩。
丑年、寅年生れの守り本尊。全国三大虚空蔵菩薩の霊所。
御由緒
南部藩主2代南部遠江守直政公、高松寺を南部家並領内安全の祈願所に指定。
貞享4年(1687)直政公御日記より
一、虚空蔵菩薩尊、来る23日島守へ被遺候に付高松寺に御目付より状遺、高松寺住職23日に登城被仕様に申遺候。
二、貞享4年卯年12月23日高松寺住職を呼ばせられ虚空蔵尊一体を御預けとなり此の時御初尾百疋被下帰時の節伝馬御証文被下。
元禄5年(1692)御日記より
一、元禄5年3月8日大守直政公、今淵茂エ門を奉行に命ぜられ、大工棟梁中沢与惣右エ門、助左エ門、長兵エなどを相添えられ島守へ被遺虚空蔵菩薩堂の建立を命ぜられる。
二、元禄5年4月28日遷座
現在の龍興山神社(浅田山、通称・虚空蔵山)の位置に、山号を龍興山と名づけ、龍興山福一満虚空蔵菩薩堂を建立、遷座奉安し、縁日を13日と定め、高松寺歴代住職が導師として祭典を執行す。
虚空蔵菩薩堂の移転
明治15年(1882)
一、明治初年の太政官令布告(廃仏毀釈)により、虚空蔵菩薩尊堂を現在の龍興山神社の位置、山頂より現在地に小宇を建立し、虚空蔵菩薩を遷座、奉安。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

参道左右の狛犬

山門

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治21年(1888)旧4月13日建立)

丑年と寅年生まれの守り本尊であると云うことで牛と虎が置かれているのでしょうか。

本堂


境内社

鐘楼

境内よりの風景