猿賀神社

鹿角市十和田錦木申ケ平13 (令和7年8月8日)

東経140度48分10.63秒、北緯40度15分33.90秒に鎮座。

この神社は、秋田自動車道・十和田ICの東北東3.2km程の辺り、申ケ平の街外れに鎮座しております。

御祭神 猿田彦命・田道将軍・天宇都女命

由緒
社伝によれば、元亀3年申年5月に申ヶ野・五軒屋村にて創建したとされる。
また、仁徳天皇55年に蝦夷の討賊に来た田道将軍の遺骸を葬った処に建立されたものとも考証されている。
青森県の大社、猿賀神社は、この鹿角からご神体が流れついたものを祀ったとも伝えられている。
明治44年字申ヶ平八幡神社、同45年字沢尻八幡神社を合併する。
秋田県神社庁公式サイト より。

神社入口

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和18年(1943)5月29日建立)

本殿


田道将軍戦没之地

上毛野田道
田道(たぢ、生年不詳 - 仁徳55年)は、仁徳朝の武人。田道の氏姓に関して『日本書紀』には記述されないが、『新撰姓氏録』には田道公と表記され、姓は公とされる。
仁徳53年に新羅が朝貢を怠ったため、まず兄の竹葉瀬を詰問使として遣わし、続いて田道が兵を率い遣わされ新羅の兵を撃破した。またその時、四つの邑の住民を捕虜とし連れ帰っている。
仁徳55年、蝦夷が反乱を起すと田道が遣わされるが敗れ伊峙水門(いしのみと)で戦死した。従者は田道が手に巻いていた遺品の玉を妻に与えた。妻は悲しみ縊死した。後に蝦夷が田道の墓を掘り起こすと、その中から大蛇が現れ次々と噛み付きほとんどの者が死亡したという。
ウイキペディア より。