秋田市下新城中野字前谷地163(平成18年7月26日)
この神社は小泉潟公園の南西約550mの静かな鎮守の杜の中に鎮座しています。社地から700mも離れた旧道沿いに社号標が建っていたり、秋田県では余り見かけない神門があったり、拝殿内に木鼻狛犬が彫ってあったり、由緒のある古社のようです。
中野と長岡・笹島の産土神で、御祭神は、磐長姫命・天照皇大神・伊邪那美命・大物主命です。
社伝では天平年中(729〜49)、行基の開基と伝えられ、初めは長岡字笹島の丸門に鎮座し、羽黒山伝来寺と称していました。
応永3年(1396)湊安東太郎安信、康季、鹿季が戦勝祈願し大勝、神のご加護であると、再建されました。
ここで一つ疑問に思ったのは、32代崇峻天皇(6世紀末)の御子、蜂子皇子が開いたといわれる出羽三山・羽黒神社の御祭神は稲倉魂命であり、月山は月読命、湯殿山は大山祇神、大己貴命、少彦名命ですが、現在の御祭神名にはありません。現在の御祭神磐長姫命は、木花開耶姫と共に大山祇命の娘でしたが、瓊々杵尊が美しい木花開耶姫だけを娶り、磐長姫命は返されてしまいました。磐長姫は大いに恥じて、「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」と縁結びの神となり八ヶ岳に、木花開耶姫は富士山に祀られました。天照皇大神は神明社、伊邪那美命は熊野神社、大物主命は金比羅神社系の神様達です。何時この様な御祭神となったのか、何方かご存じでしたらお教え下さい。