豊橋市関屋町2(平成20年3月30日)
東経137度23分34.29秒、北緯34度45分58.18秒に鎮座。
この神社は吉田大橋南詰に鎮座しています。街中にありながら、旧縣社だけあって参道には赤松の大木が立ち並び、拝殿や本殿も落ち着いた佇まいの綺麗に清掃された神社でした。またこの社は永禄元年(1558)に今川義元の吉田城代・大原備前守の吉田神社への奉納に始まるとされる「三河伝統手筒花火発祥の地」として知られています。
御祭神:素戔嗚尊
例祭日:7月第3金・土・日曜日(祇園祭)
境内社:五ヶ所稲荷社、金柑丸稲荷社
由緒:創建は吉田神社に伝わる古文書その他によると、壬申の乱(672)の後の持統上皇(701)東国への長途の旅の年三河の国行幸の行宮跡の一つでありその後聖地として聖域化したという説、京都八坂神社に端を発する牛頭天王信仰にもとづいて天治元年(1124)に創建されたとの説。尾張津島神社との関連について右大特源頼朝卿の時石田次郎為久当国に使し(1186)三州渥美郡二日市之地古江岸入道淵西之方に相馬天王勧請しその時御正躰小浜村の浜に奉上する云々等…など諸説あるようです。
往古、天王宮牛頭天王社又は吉田天王社と称され、多くの武将たちから崇拝を受けましたが、その中でも源頼朝が深く崇拝したようです。又鎌倉時代の初期に頼朝の臣安達九郎盛長は三河の国の奉公として神社仏閣を数多く造営しましたが、当社はこの盛長の造営したものと言い伝えられています。天文16年(1546)今川義元が神輿を造営し、その年6月社殿をも造営しました。
明治4年(1871)七月郷社に、同40年(1907)神饌幣帛料を供進される神社に指定され、大正11年(1921)に県社に昇進しました。
(「豊橋祇園祭 資料室」参照)
神社入口 |
社号標「縣社 吉田神社」 | 参道の様子 |
影降石(天降石) 「三河国名所図絵」に 「いつの頃にや空かき曇り 手霹靂雨雹と共に天より 振りしかば影降石と号す。」 とある御宝石です。 |
この社は 「三河伝統手筒花火発祥の地」 として知られています。 古い文献には、永禄元年(1558)に 今川義元の吉田城代・大原備前守の 吉田神社への奉納に始まるとあります。 |
拝殿前、大正6年生まれの岡崎狛犬 狛犬の拡大写真はこちらで |
|
(大正6年(1917)6月建立) |
拝殿 | |
拝殿内の様子 |
本殿 |
境内社:稲荷神社二社 城守護五ヶ所稲荷社と、永正2年の牧野古白今橋城築城の際に勧請された金柑丸稲荷社を、明治年間に合祀しました。 |
|
境内から入口を振り返る | 境内に咲く垂れ桜 |