泥江縣(ひじえあがた)神社

名古屋市中区錦1-7-29 (平成24年4月29日)

東経136度53分48.41秒、北緯35度10分05.15秒に鎮座。

この神社は、名古屋駅の東1km程の当り、オフィスビルが立ち並ぶ中、そこだけ別世界のように緑があり、狭いながらも、そこが参道入口となっております。入ってみると境内は入口から想像されるよりも広く、落ち着いた空間となっています。

祭神 応神天皇・神功皇后・三女神

当神社は、尾張本国帳に従三位泥江縣天神とあり、清和天皇貞観元年豊前の国、宇佐八幡宮からこの地に勧請せられ当時境内八丁四方あり応永二十六年修繕、遷宮、社殿は、古社寺保護建造物に指定せられ、徳川時代には藩主を初め一般民衆の崇敬厚く広井の八幡と稱して親しまれ大祭には豪華な神輿をはじめ氏子、各町の傘鉾車が出て白山神社への神輿渡御武者行列などあり名古屋名物であった。
それが昭和二十年三月十九日の戦災で烏有に帰し復興したが昭和四十一年不審火に依り再度焼失した。幸いにも二度共御神体は御無事であり再興して今日に至った。
境内由緒書き より

祭神は、応神天皇・神功皇后・三女神。尾張本国帳には、「泥江縣天神」とある。
社伝によれば、清和天皇の貞観元年(859)に、豊前国宇佐(大分県宇佐市)の八幡宮の分霊として勧請したという。
当時は、八丁四方の広大な社域を有したが、慶長の検地・町割、戦後の道路整備等で減少してきた。天正のころから広井八幡宮と呼ばれ、藩主を始め広く民衆の崇敬を集めた。七代藩主・宗春のころには、境内に芝居小屋も作られた。
例祭日は、神輿が傘鉾を従え、丸の内一丁目の白山社へ渡御し、山車も出たという。
名古屋市教育委員会

社頭

鳥居と社号標

参道

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬
(昭和24年(1949)10月建立)

拝殿内部

本殿

錦稲荷社

末社

菅原天神社・秋葉社

蛭子社

可愛い浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(大正10年(1921)5月建立)

金刀比羅社・八神社・楠社

御神木の公孫樹